リレートーク

記憶を記録せよ

カテゴリー: リレートーク

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2004年5月1日
 
大学では建築を学んだ。建築学にはいろいろな研究領域があるが、ぼくが選んだのは「建築計画」という分野だった。学部から大学院を通して、ぼくはこの「建築計画」にドップリと浸かっていた。
 建築計画とは、簡単にいえば『具体的な設計作業の一歩手前で施設機能のあり方を考える』もので、どんな建物が使いやすく合理的なのかを調べ、設計の拠り所となるデータをつくるのが仕事だった。研究者はそれぞれ、オレは病院、オレは図書館、といった具合に自分のテーマを定め、じっくり腰を据えて研究を進める。
 当時、研究テーマの主役は学校、病院、福祉施設、集合住宅などだった。それらは戦後間もない頃から研究成果が蓄積されていたので課題を見つけやすかったし、論文も書きやすかった。けれども、ぼくはほとんど手付かずだったミュージアムを研究対象に選んだ。未開地の方が面白いだろうと単純に考えたからだ。まず既存資料を当たることからはじめたのだが、そこでいきなり行き詰まってしまった。
 「歴史博物館」「科学博物館」などの施設類型に明快な定義がなく資料ごとにバラバラで、しかも自己申告制なので、せっかくの調査資料を比較分析することができないのだ。ある統計では博物館を4つに区分し、別の調査では6つに分類している。当然、分類基準はそれぞれで違う。各館は調査票ごとに異なる分類方法に戸惑いながら「今回はどのカテゴリーにしておくか」を考える、といったひどい状態だった。
 こんな状況ではなにかを研究したところで成果を一般化できない。そこで、館種分類そのものを論文のテーマにすることにした。だからぼくは、卒論から修論の3年間を通じて、博物館にとってなにを基準に分類することが合理的なのかを毎日考えていた。もちろん思いつきでは話にならない。説得力をもつのは客観的なデータだけだから、必死でデータを集めた。
  
 そんな環境からイベントの世界に飛び込んで最初に驚いたのは、データがほとんどないことだった。「統計学的にみて信頼に足る科学的なデータが揃っていない」のではない。データそのものがほとんど存在していないのだ。
 だから、変化の動向を客観的に分析したり、問題の所在を構造的なレベルで考察したりすることができない。学術的な立場からイベントを研究しようとする人も一向に現れない。当時は「イベント学」という言葉さえなかった。
 ことイベントに関しては経験と印象で語るしかない、そんな状況だった。だがそれにもかかわらず、関係者にあまり不便を感じている様子がなかった。誰も気にしているそぶりがない。ぼくはとても不思議だった。
 しかし、いろいろな人といろいろな仕事をしていくうちに、だんだんとわかってきた。要するに、イベンターはみな「次のこと」しか考えていないのだ。分析したり考察したりするよりは新しいアイデアを練る方がいい。イベントとは新しい"なにか"を生み出すことだから当然だ。だいいち、その方が面白い。
 そしてなにより、イベントには《記憶だけを残して潔く忽然と姿を消す》という美意識がある。ぼく自身、「イベントは記憶に残るだけでいい」「大切なのはいかに美しい記憶を残せるかだ」と考えるようになっていた。

 しかし、もはやそれだけでは済まなくなった。いままでのように"夢"や"思い"を語るだけでは十分な説得力をもてなくなったし、説明責任を避けて通ることもできない。クライアントや社会に対してきちんと説明しなければ認めてもらえない時代なのだ。
 いうまでもないが、論理的に説明するにはデータが要る。だが我々にはその持ち合わせがない。これはとても大きな問題だ。
 たとえば、昨今の博覧会批判のなかにはおよそ現場の実情を理解していないと思われるものが少なくないのだが、反論したくとも客観的なデータが残っていない。良質な博覧会が残した無形の効果の大きさやその取り組みプロセスを訴えたくても記録がない。当時の状況を辿ろうとしても関係者以外に知る者がなく、それも彼らの頭の中にあるだけだ。これでは「丸腰で戦え」と言われているのと同じではないか。
    
 イベントは潔く消えてしまう。だからこそ、しっかりと記録しておかなければならない。

 博覧会に限らず、今後イベントに対してますます厳しい批判のまなざしが向けられることだろう。それだけイベントが社会的に大きな存在になり、期待を寄せられているということだ。イベント界にとって認知と評価を獲得する大きなチャンスが訪れているということでもある。

 社会に対して説明責任を果たす作業は、もとよりイベントの現状を正しく記述することからはじまる。現状を正確に分析するためには客観データの集積と共有が不可欠だ。
 たとえ時間はかかろうとも、一度蓄積されたデータは石垣のように堅固な財産になる。
 記憶を記録せよ。

(月刊『Event & Convention』 2003年11月号より転載)