リレートーク

糧を育てる

カテゴリー: リレートーク

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2004年12月1日
 
『糧を育てる』

 相変わらず景気はよくないが、悪い話ばかりではない。2月に内閣府が発表した速報によれば、03年10~12月期の実質GDPは年率換算7%増で、バブル期以来13年ぶりの高い伸び率となった。設備投資と輸出が牽引役になったことに加え、個人消費も堅調だったらしい。4月1日発表の日銀短観でも、企業の景況感を表す業況判断指数(DI)が非製造業で7年ぶりにプラスに転じ、製造業では四期連続の改善となった。バブル崩壊後3度目の回復局面となる今回こそ、過去2回のように失速せずにうまく離陸してほしいと願うばかりだ。
 問題は、いまだデフレから抜け出せないことである。デフレ脱却が景気回復の鍵を握っていることはわかっていても、近代日本がはじめて経験するこの難物は、そう簡単に倒せる相手ではないようだ。
 ところで、ぼくは物価下落のことをデフレと呼ぶのだと思っていたのだが、どうやらそう単純な話ではないらしい。物価下落にも「悪い下落」と「良い下落」があって、前者が忌むべきデフレを意味するのに対して、後者は「消費者の満足を維持したまま価格をドラスティックに下げる」企業努力の成果を指すそうだ。
 そうした「良い物価下落」を体現する企業に、たとえばユニクロがある。ついこの間まで誰も知らなかったブランドなのに、わずか数年でリーディングカンパニーになった。1900円のフリースには、それほどのインパクトがあったのだ。

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 考えてみれば、品質を大幅に向上させながら価格を切り下げていく、という商品はさほど珍しい存在ではない。ユニクロほどの衝撃をもって迎えられるケースは稀だとしても、家電製品やコンピューターをはじめ、我々の身の回りにはそうした製品分野が数多くある。
 もちろんイベントの世界にもそうした波は押し寄せている。なかでも近年もっとも価格低下が進んだものといえば、何といっても液晶プロジェクターだろう。
 ぼくがこの世界に入った頃は、イベントの分野で大画面に動画を写そうとしたら、ジャンボトロンか、ビデオウォールか、シネの映写機の中から選ぶよりほかなかった。ようやく性能面で競合できるまでになりつつあったビデオプロジェクターは、まだまだ暗く、重く、高かった。さして大きくない壁面に映像を写そうとしただけで、1台数千万円のプロジェクターを2台束ねて使わざるを得なかったのはそう昔のことではない。
 それがあっという間に明るく、小さく、軽くなり、なにより信じられないくらい安くなった。壁面にちょっとした映像を写すことなど、今ではなんでもないことだ。液晶プロジェクターの登場とその進歩のスピードは、予想をはるかに超えるものだった。いまイベント展示の分野で液晶プロジェクターは引っ張りダコだ。
 だが、どんなに優れた素材でも、安易に使い続ければいずれは消耗する。液晶プロジェクターは「良い物価下落」には違いないが、昨今の乱用ぶりを見ていて、少し心配になっている。

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 そう思ったのにはわけがある。2000年のハノーバー万博にその兆候を感じたからだ。ハノーバーでは、工夫なくプロジェクターに頼るパビリオンが実に多かった。とくに先進国に目立っていた。
 壁や造作やスクリーンに映像をバシャバシャ映す。簡単で安いから、何台も使ってとりあえず隙間を埋める。この手のプランは、計画段階では費用対効果の高い合理的なアイデアと映るから、おそらくスムーズに承認され実施段階に歩を進めたに違いない。だが、意に反して実際の訴求力は高くない。多少画面が大きいというだけではもはや誰も驚かないし、どのパビリオンも同じなので次第に集中力が切れてくる。
 一方、つくり手はプロジェクターで展示が成立することに安心してしまうから、そこで思考が止まりそれ以上先を考えようとしなくなる。興味は映像ソフトの中身だけに向き、完成度の高い「作品」をつくることに没頭する。意識がどんどん《空間》から離れ、現場感覚が希薄になっていく。
 その結果、極論すれば「こういうことなら来館者に一本ずつビデオテープを配った方がいいんじゃないの?」という展示に陥ってしまう。ぼくはハノーバーを観ていて、『展示』のパワーが大きく落ちはじめている、との気配を感じたのだが、その原因のひとつはおそらくこれだと思う。

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 振り返ってみると、イベントの世界では、様々な技術や手法を乱用しては使い捨てる、というサイクルを繰り返してきた。新しいシステムや表現方法を手に入れると、我も我もと皆が競って使いまくるが、すぐに「あれはもう古いよ」と言って打ち捨ててきた。
 大型映像、3D映像、ドーム映像、マジックビジョン、レーザー、シミュレーターライド、可動床シアター………、いろいろ流行った。その多くが業界内ではもはや“過去の遺物”だ。しかし、だからといって革新的で魅力的な手法がすぐに見つかるわけではない。そして本当のことをいえば、過去の遺物のなかにもまだまだ多くの可能性が残されているのである。
 「はじめてのもの」や「今までなかったもの」を追い求めるのはイベントクリエイターの宿命であり、誇りでもある。だがそのことと、逸材を食いつぶすこととは話が別だ。
 糧を育てる、というごく当たり前の感覚が、我々には少し欠けていたのかもしれない。

(月刊『Event & Convention』 2004年6月号より転載)