まずはじめに東日本大震災で被害に遭われた皆様に

執筆者 小澤亮介

執筆日時 2011年5月31日

まずはじめに東日本大震災で被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げると共に、亡くなられた皆様には心よりご冥福を申し上げます。

深刻な被害を受けた地域の皆様にとってはいまだ現在進行形の災害であろうかと思いますが、私が住む千葉県浦安市では、ようやく平時のペースに戻りつつあるようです。

今回は震災後初めてのコラムということで、イベントの話からは少々外れますが、私自身が浦安で受けた震災体験を振り返ってみようと思います。

津波など大きな災害に遭われた方々に比べれば、軽微な被害ではありますが、あくまでも私個人の体験談ということでお読みいただければ幸いです。

報道などでもご存じの通り浦安市では、液状化現象による交通の麻痺、住宅の損傷などに見舞われました。

震災当日は、市内のあちこちでアスファルトが波打つように大きく盛り上がり、ひび割れから泥水が絶え間なく噴出して、車両だけでなく歩行者の通行も困難なほどでした。都内では公共交通機関ストップのため徒歩で帰宅する方々の様子が報道されていましたが、震災直後の浦安では、歩いて帰ることもままならず、安全な道を探して右往左往している方がたくさんいましたね。それでも、さらにひどい地域では、堆積した土砂が自宅の入り口や車両を埋めてしまっていましたので、私がその時見たのはまだましな方だったのでしょう。

マンホールが土管ごと地面から大人の身長程の高さまで飛び出している映像を、その後のニュース映像でご覧になられた方も多いかと思います。実際にはあれが1か所や2か所ではなく、それこそ視界に2本も3本もある状態だったのです。
今はもう落ち着きましたが、震災後しばらくたった後でも、噴出した泥が乾いて砂埃となって舞い散るため、マスクなしでは外出できず難儀しました。

ライフラインの被害も大きかったですね。特に水道管の破損による断水などの被害が広域にわたっていました。

幸いにも私の自宅付近では、震災後2週間程度でガス・上下水道が復旧しましたが、特に被害の大きかった海側の地域などでは、1カ月以上も水道が使えない状態が続いていたようです。

そんな中、無くて一番困ったのは実はトイレでした。

水洗トイレを流すためには1回平均8リットル程度と結構な水量が必要なのです。
水道が使えないため水道局や自衛隊の給水所に水をもらいに行くのですが、2時間待ちという長蛇の列をくぐりぬけて、重いポリタンクを抱えての重労働です(ちなみにポリタンクは地元のスーパーやホームセンターでは瞬く間に売り切れてしまい、ポリバケツはおろか、プラスチックのごみ箱など水が入りそうな入れ物はほぼ店頭から消えていました)。

そうして苦労して手に入れた水なのですが、貴重な水を1回のトイレで8リットルも使うわけにはいかず、かといって私のような独身者では、出勤しつつ毎日給水所に出かけるわけにもいかず、自治体が設置した仮設トイレも、自宅から遠いうえに圧倒的に数が少なく、これはなかなかつらいものがありました。

そんな中、震災直後は浦安市の被害は報道などで取り上げられていなかったためか、計画停電の対象に組み入れられていて憤然とした覚えがあります。

皆様それぞれに被害の軽重はあるにせよ、今回の震災でまったく影響を受けなかった方はいないでしょう。特にイベント業界においては震災以後の自粛ムードの中で、中止せざるを得なくなったイベントも多く、苦しい状態が続いています。私が勤務する東京ディズニーリゾートにおいても約1か月にわたる閉園を余儀なくされました。
先の見通せない市場環境の中ではありますが、このような非常時なればこそ、己ができることに一意専心すべきと思います。我々には日本に活力を取り戻すイベントという媒体があります。被災地のいち早い復興のため、日々の業務に着実に取り組んでいきましょう。