2001年からの発想

■執筆者 森内美津子
■執筆日時 2002年3月15日
 
2001年からの発想
 21世紀の最初の年・2001年年末にこの原稿を書いている。新聞は今年の10大ニュースを報じ1年を振り返っている。
「いよいよ21世紀がスタート!」と華々しく1年の幕開けをきった年明けからはかなりトーンダウンした、社会的には暗いニュースが多い年であった。同時多発テロ・戦争・狂牛病・失業率の上昇、う~ん、この原稿は年明け、皆さんが「去年は暗いことが多かったけれども、今年はきっといいことがあるさ。」と、心機一転・意気揚揚としていらっしゃる頃に目にされるのだから、社会的今年の振り返りはこの辺にしておこう。

 私にとっての2001年は、まさにこの6年携わってきた福島県での「うつくしま未来博」が開催され、関係スタッフが一同に感動・達成感の中に幕を閉じた1年であった。ご存知のように、こういった県を上げてのプロジェクトはかなり長い期間にわたる企画・調査・提言・普及活動が行われる。そして、県民の税金を使って開催されるということは県民の支持、そして大いなる参画(県民総参加)がなければ成功とはいえない。
 私は、幸運にもこの事業推進のかなり初期の頃から携わる機会を得たので、その初期の頃の活動を若干紹介するとともに1市民としてのイベント感を書き綴りたい。
 
●1996年(開催5年前)
≪県内7地域説明の旅≫
「う~ん、これ何を言っているか聞き取れないよう!」
 5年前の私たちは、うつくしま未来博準備室の皆さんが開催される「うつくしま未来博 7つの地域懇談会」のお供をして、その懇談会の開催の模様・質疑応答を記録として取り、議事録として納めるという業務を担当していた。テープの性能が悪く何を言っているのかわからないこともあれば、方言(福島の皆さんごめんなさい)がわからなくて文章に起こせないこともあった。これは年に夏・冬2~3回開催された。まだまだ、県民参加者たちは「何をやるの」「どこでやるの」「自分たちは何をするの」という状態である。
 また、子供の教育問題、高齢化社会、ごみのリサイクルの問題などどの地域にも共通の問題として、この博覧会でもどう具現化するのか白熱した意見が出ていた時でもあった。
 そして、私はこの旅で福島の山々の美しさと日本酒のおいしさに目覚めたのであった。

≪テーマと格闘≫
 うつくしま未来博のテーマご存知ですか。「美しい空間 美しい時間」です。この21世紀の桃源郷のようなテーマに沿って、会場はどうあるべきか、出展パビリオンは、その内容は、そして21世紀的情報管理は、運営のあり方は、と侃侃諤諤の討議。会場は緑に囲まれ、牧歌的なゆったりとした時間が流れ…、そういったイメージを膨らませていたものである。会場に実際行かれた皆さん、いかがでしたか。
 こんなことも遠い昔のこととなり、2001年、華やかに開催を迎えた。会場は付近の山や緑を借景とし、会場自体も花や緑にあふれた美しいものであったと思う。

 多くの県民が、今まで触れ合えなかった人々とふれあい、『成功』というひとつの目標に向かって力を合わせ、知恵を出しあう。自分には不得手であっても他の人には専門分野、また意外な人が意外なところで思わぬ力を発揮する。私は「運営」という最終アンカーとしてまたバトンを受け取り、運営スタッフとともに会期中の管理を受け持った。県民アテンダント・サービススタッフたちは期間の3ヶ月で最初の頃の硬い表情から数倍明るく輝き、そして最終日には涙を流して抱きあう。

 最初に書き綴ったような、いわゆる「暗い」社会において、人々は癒しや心の充足・ふれあいを求めている。でもそれがどこにあるのか、どうすれば得られるのかわからないことも多い。こんなときだからこそ、「ちょっと一緒にやってみようよ」「ちょっと行って見ようよ。」というイベント、そして、そこで気づくこと、考えることが大切になってくるのではないだろうか。私自身もいくつかのパビリオンで自分が予想だにしなかった切り口でテーマが展開されていることにまさに「目からうろこ」、あらためて社会を見る目に、新鮮な衝撃を受けた。
 イベントはまさに一過性であるが、長い時間とたくさんの人々の知恵と力の集積でもある。さまざまなイベントが一人でも多くの人達に気づきや感動を与えますように。

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* プロフィール*
富山県生まれ。お茶の水女子大文教育学部卒。㈱リクルート、㈱ドゥ・クリエーションと勤務し、媒体企画や新規プロジェクトの立ち上げ、運営事務局などを担当。世界都市博の準備作業から博覧会業務に携わり、山陰ゆめみなと博、仙台ゆめ交流博の民間パビリオンの運営管理、そしてうつくしま未来博の協会パビリオン、山口きらら博民間パビリオンの運営管理を担当した。