百発三中
■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2002年7月1日
NYメッツに移籍した新庄選手の一挙手一投足が連日のように報道されている。僕は『3番王・4番長嶋』時代の後は野球とは無縁で暮らしてきたから近ごろの事情は知らないが、「イチロー」のように英才教育で開花した天才でもなく、努力で這い上がってきたスポ根系にも見えない彼の活躍は、なぜか不思議な吸引力をもっている。
日本人がこぞって彼を応援するのは、「大リーグで活躍する日本人の雄姿が見たい」だけでなく、「無理だ」と言われながらも退路を断ってアメリカに渡った彼の無謀ともいえる潔い態度に共感を覚えたからではないかと思う。
新庄は国内球団の提示する破格の年俸をあっさりと蹴り、愛車フェラーリを叩き売って規定の最低年俸でメッツに入った。プロ野球選手としてはおそらく最もリスクの高い選択肢を選んだ。誰もができる話ではない。
メジャーでの成功は“アメリカンドリーム”の典型だが、新庄がもしそれを手にすることができたとしたら、間違いなく自らリスクを取った報酬だといえる。
「リスクを覚悟する」とはすなわち「失敗を受け入れる」ことである。失敗を許さないのならリスクを引き受けることはできないし、安定した枠組みから外れる道を選ぶなら、失敗の可能性を想定しなければならない。
すなわち、リスクを取るということは「百発百中を諦める」ことにほかならない。マイクロソフトのビル・ゲイツは「三つ当てるために百に投資する」といわれるが、97を捨てる覚悟がなければ3つですら手中に収めることができないのだろう。
もちろん、「一か八かやってみる」だけなら誰でもできる。だがそれは素人のやることであって、プロの仕事ではない。ビル・ゲイツだって何も考えずに百を選ぶはずはないし、選んだ以上はすべてを成功させようと最大限の努力を払うに違いない。
よく言われるように、偶然ホームランを打つのは素人にもできるが、どんな条件下でも常にヒットを打ち続けるのがプロだ。この意味でいえば、プロの仕事とは失敗のリスクを可能なかぎり摘み取ることだといっていい。
つまり、新たな可能性を探るためには「リスク覚悟で挑戦する」ことが避けられず、それを遂行する上では「できるだけリスクの芽を摘み取る」ことが必要だ、ということになる。プロの為すべきことはそのバランスをとることである。それがいわゆる「経営感覚」というものだろう。もちろんイベントだって同じだ。
元来イベントはリスクの塊である。不特定多数を相手にするときはなおさらだ。いくら綿密に計画しても結局は「何が起こるかわからない」し、始まってしまえばあとは現場の腕力で乗り切るしかない。
ゆえにイベントは、「管理」や「制御」の手の届かない、「勘」や「ひらめき」が支配する領域だと思われてきた。イベントの制作が現在のような近代的な形態になったのは大阪万博からだが、以来、イベンターのエネルギーは「リスクの軽減」に注がれてきた。リスクを減らすにはシステム化とマニュアル化が一番だから、博覧会・見本市からゴルフトーナメントに至るまで、定型化されたシステムとしての完成度を高めていった。
この結果、最も計画難度の高い博覧会でさえ、地方行政が施策のひとつとして気軽に活用できるまでになった。こんな国はおそらく日本だけだ。工業製品と同じように合理化・効率化を推し進めてきた成果は、マンネリという弊害を生んだとはいえ、リスクを取り除いてイベントを普及させるという当初の目的をみごとに達成してきた。
しかしその一方で、「リスクを取って挑戦する」ことから次第に遠ざかり、イベントは「生産するもの」になった。我が国のイベント市場が急激に拡大してきたのはこのためだ。
社会の枠組みが大きく変わりつつあるいま、イベントにも構造変革の波が押し寄せている。イベンターへの期待も「生産」から「創造」にシフトしつつある。今まで通りのやり方がいずれ力を失うことが誰の目にも明らかだからだ。要するに「リスクを恐れず新たなイベントを」ということになるのだが、ことはそう簡単ではない。
いま、クライアントはもとよりイベンター自身でさえイベントとは「百発百中」のものだと思っている。仮にイベンターがリスクを取ろうと考えても、クライアントや社会がそれを許さなければ実行には移せない。
つまりいま、イベンターは「失敗が許されない」環境のなかで「リスクを取る」という実に難しい選択を迫られている、と考えねばならない。ウルトラCはない。着実に半歩ずつ前を目指すしかない。
だがいずれイベンターを取り巻く環境も大きく変わるだろう。そうなれば、イベント制作のプロセスはまったく違うものになるはずだ。
(月刊「EVENT & CONVENTION」2001.11月号より転載)