エクスプロの精神

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2003年10月1日
 
サンフランシスコの郊外に、エクスプロラトリアム(以下エクスプロExploratorium)という変わった名前の、とてもユニークな博物館がある。中心市街地からは離れているし、泰西名画が並んでいるわけではないから、観光客が団体バスで押し掛ける場所ではない。はっきりいえば、一般の知名度はかなり低い。
 しかしここはミューゼオロジー(博物館学)を学ぶ者にとってのいわば聖地だ。参加型展示、近ごろ流行の言葉でいえば「ハンズ・オン」型展示の草分けとして、ボストンのチルドレンズ・ミュージアム、トロントのオンタリオ・サイエンス・センターと並んで先駆的な役割を果たしてきたからである。
 1915年に開かれたパナマ・太平洋博覧会のパビリオンを改装して、エクスプロ
は1969年に開館した。だだっぴろい館内にわずか5点の展示物でスタートしたのだが、その後次々と斬新な展示物を開発、今ではそれを世界に「輸出」するほどの横綱ミュージアムになった。
 オープン以来、革命的ともいえるエクスプロの思想はジワジワと世界に広がり、影響を受けた博物館を世界各地に生んできた。20年くらい前に日本で「こども科学館ブーム」が起きたときにお手本となったのも、やはりこのエクスプロだった。
  
 エクスプロの展示は、一貫して『知覚』をテーマとしている。鏡、レンズ、プリズム、フィルター、チューブ、バネ……、シンプルな仕掛けでつくられた装置を使って自然界のさまざまな知覚現象を全身で体験する、とうのが基本コンセプトだ。
 たとえばある装置の前に立つと、背景の壁に少しずつズレた自分の影が同時に3つも映る。しかも色違いだ。この不思議な体験をすることで、子どもたちは光の3原色と「混色」を学ぶ。
  光、音、水、波、風、空気……、エクスプロが取り上げる自然現象は多岐にわたる。そのうえ同じ「波」でも、音の波、光の波、水の波といった具合に多様な展開が用意され、位相の異なるいくつもの体験を通して「波という概念」が理解されていく。
 大切なことは、そのいずれもが、観客が自分の身体を道具にしながら自ら感じ取ることを前提としていることだ。しかも展示装置はすべて館内の工房で作られる。試作品を並べ、観客の反応を見ながらじっくりと改良を重ねる。作り手と受け手のキャッチボールが完成度を高めていく。
「参加型」博物館のお手本といわれる所以である。
 
 いうまでもなく、参加型とは双方向型ということだ。参加型展示=インタラクティブな展示とは、本来の意味でいえば、観客の存在や反応に応えて状況が刻々と変化することである。
 だが、これは難しい。一度つくってしまえば同じ状態・同一の効果をキープできる「展示というメディア」は、多くの観客に対して平等に情報訴求できる反面、フレキシブルに変わることができないとの宿命を負っている。大量かつ効率的に情報を伝達できるというメリットこそが、実は展示の最大の弱点なのだ。だから、展示のクリエイターはみな「インタラクティビティの向上」に四苦八苦する。
 参加型展示は簡単にはつくれない。だがイベンターは、この『参加型』という言葉をイージーに濫用してきた。これまで嫌というほどつくられた“参加型パビリオン”を思い出せばいい。
 「観客がボタンを押すと何かが動く」「観客の多数決で映像ストーリーの行方を選択する」「ボタンの早押し競争で・敵・をやっつける」……。さんざん繰り返されてきた企画の定番だ。
 イベント界では臆面もなく、こうした幼稚な仕掛けを「参加型」と称してきた。結局のところこれらはパッケージ情報の垂れ流しに過ぎないのだが、観客が“スイッチを入れる”ことが参加のアリバイになると安易に考えた。だが、いまそれをやったら失笑を買うだけだ。
 
 もちろん、博覧会や展示会などの大型イベントでは、郊外の博物館とは比べものにならない大量の観客消化が条件となる。そうした状況下で完全なインタラクティビティを獲得することは絶望的なほど難しい。コミュニケーション密度と観客処理能力とは相反関係から逃れることができないからだ。
 しかし、だからといって定型的なパッケージ情報の送達に終始するだけではイベントを行う意味がない。それはマスメディアの仕事だ。
 一方で、インタラクティブな展示のつくり方に教科書やマニュアルはない。エクスプロがそうしたように、一人ひとりが自分の方法を見つけ出すしかない。
 いろいろな行き方があるだろう。ただ少なくとも、参加とはボタンを押すことではない。情報の送り手と受け手の間になんらかの関係性が発生すること、すなわちある種の“対話”が成立するかどうかが分水嶺になるはずだ。
 一方的に情報が送達されるだけでは対話は成り立たない。エクスプロを見ていると、それがよくわかる。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2003.4月号より転載)