『ルーカスの気配』
■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2005年2月1日
『ルーカスの気配』
以前ある取材を受けたとき、相手が口にした一言に愕然としたことがある。
「いやぁ、イベントにプロがいるとは知りませんでした。やっと辿り着けてよかった。ずいぶんと回り道をしました」
そのときは耳を疑ったけれど、考えてみれば無理はない。日常生活のなかで“イベントのプロ”と接する機会など普通はないのだ。
もちろん、いまやイベントはわたしたちの暮らしになくてはならない存在だ。だから誰もが「イベント」についてはよく知っている。だが「イベントをつくる人」となると話は別なのである。
ぼく自身、職業を訊かれて「イベントのプロデューサーをしています」と答えたときに、相手がトンチンカンな受け答えをする場面に何度も遭遇してきた。“イベント”も“プロデューサー”も言葉としては知っているけれど、「イベントプロデューサー」が何をする人なのかをイメージできないらしい。世の中にそんな職業があるとは知らなかった、という人もきっと少なくなかっただろう。
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一般市民だけならまだいい。メディアでさえそうなのだ。冒頭のエピソードがそれを端的に示している。そういえば、航空事故であれ少年犯罪であれ、どんな分野の出来事でもなにか起きると新聞やテレビではその道のプロが解説するのが定型なのに、イベントだけはそうならない。
都市博の中止、愛知万博の迷走、花火大会の事故………、イベントにまつわる話題はいろいろとあった。けれども、新聞やテレビに“イベントのプロ”が登場することはついになかった。文化人や評論家が外側からの「観察結果」を述べただけだ。だから「内側からの視点」や「現場の実感」が社会に発信される機会は最後まで訪れなかった。
悔しいけれど、いまのところイベントの実務家が社会に発言できるチャンネルはないに等しい。だから正しくは、「登場しなかった」のではなくて「登場できなかった」のだ。なにしろ存在そのものが認知されていないのだから、勝負にならない。
「顔が見えない」ことのデメリットは、単に社会的なステータスが獲得できないことにとどまらない。若い人材のリクルーティングにもきっと大きな障害になっていることだろう。存在を知らなければ、その世界で働いてみたいとのモチベーションも生まれない。
これはとても大きな問題だ。憧れの職業のひとつになって、夢と情熱をもった若者が次々と挑戦してくるようでなければクリエイティブな業界は発展しない。そしてそうなるためには、目標たるに相応しいスターがいること、どんな職分にもプライドがもてること、少なくともこの二つの条件が揃っていることが必要だ。
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映画の世界を考えてみるとよくわかる。映画産業は若いエネルギーを吸引し続けているが、ぼくはこの二つの条件が完璧に機能していることが大きく作用しているのだと思う。
映画制作の世界から誰もが連想するのは、おそらく巨大なピラミッドのヒエラルキーだろう。頂点にはスピルバーグやルーカスがいて、末端には現場で走り回る若者たちがいる。監督や俳優といった表舞台に立つ人々から背景画の描き手やヘアメイクの助手などの裏方に至るまで、制作に関わる職能はすべてそのピラミッドのなかにしっかりと位置づけられている、といったイメージだ。
もしそうなら、自分がいまどんな職分を果たしていようと、ピラミッドのなかの自らのポジションがはっきりとわかるだろう。そして上を見上げれば、遙か彼方にスピルバーグやルーカスの影が見えるはずだ。そこまでの道のりも実感できるだろう。なによりルーカスと自分とが一本の糸でつながっていると感じられるに違いない。だから夢がもてるしプライドがもてる。
エンドロールを見るたびにそう思う。映画の最後に流れるエンドロールには、監督や主演俳優からロケに立ち会った看護婦に至るまで、文字通り参加したスタッフが一人残らず網羅されている。ゆえにそれは、見る者すべてに「映画をつくる人たち」のピラミッドを実感させる。
重要なことは、実感するのは観客ばかりでなくスタッフ自身も同様なのだということであり、なによりそれ自体がスタッフすべてに対する“リスペクトの表明”になっていることだ。
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スピルバーグやルーカスの仕事ぶりを見たわけでもないのに、誰もが彼らの職能をわかっていると感じるのは、彼らの顔が見えるからであり、実際の制作現場に立ち会ったこともないのに映画制作の舞台裏がイメージできるのは、流通する情報量が豊富だからだ。一方で、内部で働く人間は、常にルーカスの気配を感じることができるし、ルーカスとの距離を測ることができる。
だがイベントの世界にルーカスはいない。「顔の見える」発言者もいなければ、エンドロールもない。スターがいないから憧れの対象にならず、制作現場のイメージがないから親近感が得られない。
イベント産業が早急に取り組むべき課題だ。
(「Event & Convention」2004.8月号より転載)