『Dialogue in the Dark』

■執筆者 平野 暁臣
■執筆日時 2005年10月3日
 

『Dialogue in the Dark』

 生まれてこの方、ぼくは本当の“闇”を知らずに生きてきた‥‥。
 先日、『Dialogue in the Dark(DID)』という名のユニークなワークショップに参加して真っ先に感じたことである。ぼくがいままで闇だと思っていたのは、ただの“暗い場所”に過ぎなかった。本物の闇はそんなものじゃない‥‥。
 プログラムは15年前のドイツで生まれた。その後、またたく間にヨーロッパ中で評判となり、70都市を巡回。体験者はすでに100万人を超えたらしい。日本でも99年にはじめて紹介されて以来、毎年継続開催されている。
 内容はいたってシンプルだ。参加者は数人一組になり、視覚障害者用の白杖を渡されて場内へ。そこは人影はおろか鼻先にかかげた自分の手さえ見えない漆黒の闇だ。
 そのなかを杖を片手に歩いていくのだが、むろん参加者だけでは一歩も前に進めない。リーダーとなって導いてくれるのは視覚障害者のスタッフたちだ。
 森を歩き、せせらぎで水に触れ、干し草に寝そべり、駅の改札を抜け、プラットホームを歩き、ブランコに揺られ、バーでドリンクを注文し‥‥‥。
 彼の案内で暗黒の世界を巡り歩くなかで、さまざまな体験に出合う仕掛けである。

☆  ☆  ☆

 場内に入ったときにはうろたえた。正直に言うと、不安のあまり足がすくんで動けなかった。足下を見ても意味がないほどの闇。右も左もない世界。本当になにも見えない。
 「方向」や「距離」といった空間認識の情報をすべて失って、パニック寸前になる。もはや自分には為す術がないという絶望感が込み上げてくる。
 しかし、ジタバタしてもしょうがない、そう観念した後は少し落ち着いた。気分を換えてなんとか乗り切ろうと覚悟を決める。
 腹を括ってからは楽しかった。なにしろ生まれてはじめての体験なのだ。リーダーの声に導かれ、文字通り手探りで少しずつ進んでいく。耳を澄ませ、全身の神経を集中する。
 やがて視覚以外の感覚が開いてきた。遠くに聞こえる水の音、足の裏に感じる枯れ葉の感触、干し草が発するかすかな匂い‥‥。
 姿は見えないのに人の動きがわかる。空気の流れさえ感じる。“気配”の原理を垣間見たようだ。
 ビックリしたのはバーでコーラのグラスを手に取ったときだった。口に近づけようとしたら強烈な匂いがしたのだ。紅茶のように香りが立ちのぼってくる。
 もちろんコーラに匂いがあることは知っている。けれど、こんなに強く、ハッキリと感じたことはなかった。はじめての体験だった。
 たった45分間、視覚が閉ざされただけなのに、すべてが違う。ぼくたちの日常がどれほど視覚に頼っているのか、いかに視覚以外の感覚が磨かれていないのかがよくわかった。
 理屈では理解していたけれど、それをはじめて体で納得した瞬間だった。

☆  ☆  ☆

 イベントは『五感に訴えるメディア』だ。常々ぼくはそう言っているし、実際にそうだと思う。イベントがマスメディアやインターネットと違うのはまさにそこだ。
 外から“見る”のではなく、中に“居る”。情報を“受信”するだけでなく、プロセスに“参加”する。イベントならではのコミュニケーション特性は、すべてこの『体感性』に由来している。“肌で感じる”から強いのだ。
 ゆえに、イベントのつくり手はできるだけ五感を刺激しようと考える。せっかくの性能を活かさなければ損だから、「見る」だけに終わらせまいと工夫を凝らす。
 だがそれは、思いのほか難しい。大きな音で圧倒するくらいなら誰でもできるが、嗅覚や触覚に効果的に訴える演出などそう簡単につくれるものではない。実際、これまでの試みをみても、大半は「匂いの出る映像シアター」や「床や椅子が動くシミュレーターライド」止まりであって、所詮は“おまけ”を超えるものではなかった。
 要するに、ぼくたちイベントクリエイターは、『五感に訴えるメディア』を与えられながら、それを十分に活かすことができていないのだ。悔しいけれど、それが現実だ。

☆  ☆  ☆

 DIDは見事に五感を全開させる。視覚に一切頼らず、独創性の高いプログラムを組み立ててみせた。すべての観客に“はじめての体験”を約束するコンテンツなど、万に一つあるかないかだ。単純にすごい。
 だが、それだけではない。ぼくが一番驚いたのは、参加者の間に不思議な連帯感が生まれたことだ。不安のなかで暗闇をともに進むうちに、自然に「ここに段差がありますよ」「ほら、ここの○○触ってみて」と声を掛け合うようになったのである。“戦友”の声は本当にありがたく、頼もしい。
 手を握ったり腕を引いたりすることも度々だ。満員電車で人と肌が触れ合うのは不快だが、ここではとても心地よく感じる。五分前まで赤の他人だったはずなのに、完全に信頼しきっている。そばにいてくれると感じるだけで安心できる。まるで“心を許した友”のようだ。 
 “人”の存在に気づかせ、新しい“関係”づくりを育む。DIDは「空間そのものでコミュニケーションを媒介する」というイベント最大のテーマをさらりとやってのけている。
 “本物の闇”はハンパではない。

(月刊『Event & Convention』 2005.4月号より転載)