「最近のイベント事情」
■執筆者 イベント業務管理者協会会長 真木 勝次
■執筆日時 2007年2月22日
「イベント」をヤフーで検索したら141,000,000件。
この数字がものすごく多いのか、単に多いのかわかりませんが、日本の人口より多いのには驚きました。ネット上にそれほど「イベント」という言葉がたくさん登場している証です。
思い起こせば私がそんな「イベント」という言葉に出会ったのが、高校時代、1970年前後。その頃のイベントといえば縁日、お祭りとほぼ同義語といえる状況でした。
社会では、イベントをやる人の事を「イベント屋」と呼び、世間一般は理解を示す事に抵抗を感じていました。
ただ、そんな時代でも「イベント」という言葉のもつ、特別な感じ、「ハレ」と「ケ」の「ハレ」な感じ、派手な感じは自分の生き方を重ね合わせると、シンパシイとアイデンティティを十分に感じさせるものでした。
大学生という、自分時間が大いにあった頃から、イベントは私にとって生活であり、趣味であり、自分自身を表現するものとしてどんどんクローズアップされ、とうとう生きる道になりました。
以来、30数年、イベントと共に生き、働き、喜怒哀楽全てをこの中で経験してきました。
その間、学生時代から会社を設立、幾つかの節目を経験しつつ、会社経営、そして現在はイベント業務管理者協会の会長をも務めさせて頂いております。
こんな私が最近つくづく、いや、ちょっと前からずっと考えているのがこの30数年の私の歩みとイベントの歩みを照らし合わせてイベントは世の中にどう受け入れられて市民権を確立してきたのか、いやそうではないのかどうかという事です。
確かに当初の「イベント屋」という呼称からは大分世の中においては、社会的認知、社会的地位、イベントそのものの効果、意味はステージアップしているものの、世の中が「イベント」という言葉や力に消化不良をおこしていてうまく理解しきいれていないのではないか、という不安感がどうにもぬぐえないのです。
「イベント」の意味、定義、効能、影響力、そして可能性というものがイベント従事者達の思いとは別に「イベント」という言葉の独り歩き、消化不良のままの「一人合点」の状態で、世の中に認知されてしまっているのではないかという危機感が最近どんどん大きくなってきております。
メディアに登場する時の「イベント」は良くも悪くも人を集めて賑やかしをやって線香花火のように終える、という印象を与えていると感じるのは私だけの被害妄想でしょうか。
確かに集客装置としてのイベントの機能はありますが、それ以上に何の為に、どんなメッセージを伝えるかが重要であるはずのイベントが一面的、一義的にとらえられて、それで理解の全てになってしまっている。これは私が「イベント」という言葉に出会った時と余り変化はないのではないか。
確かに「イベント」という言葉は一部の人だけが知るものではなく、社会の大多数の人が知るものとなったが、その内容の理解たるや、以前と変わりはないのではないか。
この事がイベント業界の健全な発展に、現在から未来への大きな障壁となっているのではないか。
以上の事柄が単に私だけの個有の心配であればいいのですが・・・。
イベント業界人たる人達は、私の意見に同意する部分があるのであれば、この状況をもう少し真剣に考え、少しでも改善し、より能動的にイベント本来の意味、内容を伝えていかなくてはならないのではないでしょうか。
昨今の広告費の総額の変動は6兆円を境に大きな変化はないものの、4媒体重視型から確実に4媒体以外に比重は移りつつあります。
得意先や広告代理店はwebを含めて4媒体や4媒体以外の組み合わせで、より効果のあるマーケティング戦略を展開しようとしています。
その流れをうまく捉えて、今こそ我々イベント業界人は一致団結してイベントのパワーの大きさ、他のメディアとの融合性、親和性の良さ、そして何よりも人々の気持ちにダイレクトに入っていく突破力を世間に行使して、その効果を伝えていくべきだと考えております。
今こそがイベントにとって最大の好機といえるのです。
共にイベントの力の伝道師としてやろうではないですか。