1937年開催「パリ万国博覧会」に、思いを馳せながら感じたこと
執筆者 飯田裕美
(JEDIS女子ネットプロジェクト 幹事/日本イベント業務管理士協会 理事)
執筆日 2018年2月19日
皆さま、お元気でいらっしゃいますか?
私事ではございますが、昨年4月に東京事務所を開設させていただきました。(本社:大分県)
その際にはJEDISの皆さまをはじめ、各方面の方々のご指導ご厚意をいただき心より感謝申し上げます。
さて、そんなことでここ数ヶ月は毎月1回程度、東京出張という非日常を満喫している私。(早く日常化したいと願っていますが)
田舎者にとっては、銀座の並木通りを歩いていると、それだけでステイタスが向上したような錯覚に陥ります。そんな高揚感を楽しみながら散策している時の出来事を今回はご紹介させていただきます。
憧れの「和光」を左手に見ながら中央通りに入り、歩みを進めていたところ、日本を代表する世界のジュエラー「MIKIMOTO」本社のウインドウが目に留まりました。
輝かしいウインドウの中に厳重な管理のもと展示されていたものは、帯留の「矢車」。キャプションを読み進めると、この「矢車」は、1937(昭和12)年に開催された【パリ万博】に出品され、高く評価されたものであるとのこと。私たちの教本である「博覧会の構成と業務管理」にでてくる、博覧会の歴史のヒトコマでございます。
「MIKIMOTO」は、この出品をきっかけに世界に認められたジュエラーだけが軒を連ねることが許される、パリのヴァンドーム広場に店舗を構えることができたたそうです。
そこから、なんと81年の歳月を経て展示されていた「矢車」。
今年が、「ミキモト真珠発明125周年」ということもあり、特別展示されているそうです。
日本の職人ならではの細やかな技法が凝らされた美しい逸品です。
興味をそそられ、受付にいたスタッフさんにいくつかの質問を投げかけてみたところ、見事に全ての質問に丁寧な受け答えをしてくださいました。
それも、「矢車」の説明だけではなく、【パリ万博】についてまでもです。
“受付”という職務に従事しているため、勉強していたというのはわかるのですが、それにしても様々なことを記憶した上で、当時の様子を昨日の出来事のように話す様子に、真に驚きました。81年前、寝食を忘れこの「矢車」の製作に取り組んだ職人さんや、パリ万博の開催に勤しんだ、私たちの先人でもある同業界の方々が天国でこの様子を見ていたら、どんなに喜ぶかと思うと胸の熱くなる思いでした。
私があまりに熱心に話を聴くからか、「館内をご案内しましょうか?」とご提案くださいました。
違うスタッフの方がお越しになり、ご案内付きで各階を巡れるという幸運にあずかることになったのですが、その際も壁の柄のイメージについてや各階の絨毯の柄の意味、照明の明度について、包装紙に込められた思いなどなど…とにかく素晴らしい説明力でした。
「MIKIMOTO」のスタッフは、どれほどに「MIKIMOTO」を愛し、歴史を重んじ、今ここで働いている自分自身を誇りに思っているんだろう。と思わず唸ってしまいました。もちろん、このようなスタッフを育成できている「MIKIMOTO」の人財教育の素晴らしさにも感銘を受けました。
私がイベンターとして常々心がけていることは、「記憶に残るイベントを生み出そう」という事です。携わる多くのイベントは形となって存在することはありません。でも、主催者や参加者の方々の記憶に残るイベントを生み出し、つくりあげることは可能だと信じています。
81年前に「MIKIMOTO」がパリ万博に初出店した時のことを、歳月を経た今のスタッフが我がことのように誇り語る姿を見ながら、このように語り継がれるような仕事をしていきたいとあらためて強く感じ、企業のストーリーが脈々と受け継がれている「MIKIMOTO」の美しい真珠を、いつか胸元に飾りたいなぁという輝きが生まれた、或る日の出来事でございました。
「1937年 パリ万博博覧会 出品の“矢車”」
「銀座MIKIMOTO本店にて」
*写真掲載につきましては、㈱ミキモトより掲載許可を得ています。
*撮影 飯田裕美(2018年1月29日)