【震災コラム】「それからのインザウィンド」
執筆者 IN THE WIND菊地美一
2011年7月から、インザウィンドは積極的に全国を回り、歌を歌うようになりました。
その頃から、福島に対する無理解と誤解によるショックな出来事が続いたからです。
県外の駐車場で福島の車が追い出されたり、福島の子供が避難先でいじめにあったり、私たちが出演するはずだった県外の福島物産フェアも中止になりました。県外の相手先の親御さんに急に反対されるようになり、結婚がとりやめになった若いお嬢さんもいました(お友達のお嬢さんなので、残念ですが事実です)。
東京発のメディアでは報道されない、福島県にいなければわからない事実が数多くありました。特に私たちが住んでいる福島県の中通りは、結構、放射線量が高く、鬱陶しい日々が続いています。
我が家のすぐ近くの「荒池公園」は桜の美しい、近隣の人々の憩いの場所だったのですが、ぱったりと人影が途絶えてしまいました。なぜなら、「小学生立ち入り禁止、中学生は1時間まで」というキープアウトの黄色いテープが、事故後放射線量が測定されてから、ずっと張られていたからです。
そのテープは冬になる頃には外されましたが、いまでも遊ぶ子供はおろか、犬の散歩も、ゲートボールのお年寄りさえ来なくなってしまいました。いまは放射線ポストが設置されていて、逆の意味での観光名所(?)になっているのが、淋しい限りです。
その近くの通学路では、(昨年2011年はもちろん全員が、今年でさえ何人かは)夏になっても子供たちは長袖にマスクで、必ず帽子をかぶって通学するのが普通の光景で、この頃から近所の幼稚園児や小学生の数がめっきり減っていきました。心ない学者や評論家は、この程度の放射線量は人体に影響はない、福島県民は過敏すぎると言いましたが、そういう発言が続けば続くほど、子供たちの数は減っていきました。
屋外で子供の姿を目にすることが、わかるほどに減っていき、他県に行くと子供の多さに驚いたものです。今は子供たちのための屋内遊戯場という施設が、郡山にも福島にもできています。
また、この当時、風評被害は酷いものでした。
農産物だけではなく観光地や温泉旅館もキャンセルの嵐で、会津などは、東京と同程度の放射線量なのに、福島県の旅館というだけで誰も来ません。
温泉地では、私がよく知っている旅館だけでも3軒が相次ぎ廃業しています。
いずれも老舗の名旅館です。
岳温泉にあった友人の旅館も、素晴らしい庭のある老舗の名旅館でしたが、首都圏のお客様を中心に頑張ってきたことが、逆にあだになって、閉館に追い込まれ、私も胸をかきむしられる思いでした。廃業直後にご主人である友人一家にお会いした時は、涙が止まりませんでした。
「福島の娘を嫁にもらえない」と最近どこかの偉い人が発言し、福島県民の怒りを買った、そのような偏見に満ちた言葉が、事故後、そして今でも言われ続けて、福島の娘さんと親たちを苦しめています。県内では、「放射線による健康被害はない」と私たちはたびたび聞かされています。なのに県外からは、嫁にもらえないと言われる。言語道断です。
その一方で、私たちの住む中通りでは、実際にちょっと高めの鬱陶しい放射線量が続き、避難地域にもされないので、自分の家、地域の通りなどの除染は国にも県にも市にもどこにも頼れず、どこの地域でも町内会ごとに草むしりなどをして、自分たちでやっていました。
発表される放射線量は、あくまでも、標準測定場所の物。
実際の側溝、草むら、植え込み、水たまり、風だまりなど、溜まりやすいところはもっと高いし、場所によっての高低差は大変なものです。
あの頃、東京の公園などの放射線量が高い!高い!とテレビのマスコミをにぎわすたびに、もっと高い値の、私たちの住んでいる中通りが置き去りにされているような、複雑な気持ちになったものです。
もう、黙っていてはだめだ。原発事故で被害を受けた福島県のほんとうの姿を、日本全国の人々に知ってもらい理解してもらわなければ!!実際に体験した者の声を聞いて、偏見をといてもらおう!福島を応援してもらおう!!と決意したのです。
6月まで行なってきた、避難所・仮設ライブを続けながら、県外に出て、直接訴えよう、と決めたのです。
決意を込めて(笑)行った先々で、私たちは、予想以上の大きな大きな励ましをいただき、勇気づけられました。
インザウインドを、福島のバンドとして呼んでくださった、鳥取、愛知、四国はじめ各地の方たち。
「広島の娘は嫁にもらえない」と言われてきた広島の方たちの、あたたかい心強い励まし。
福島にお金を使いに行くからね!と言ってくれた、石垣島、愛知、長野、新潟、広島、愛媛、香川、兵庫、山形、群馬、栃木、埼玉、東京はじめ各地のみなさん。
四国は、松山の隣町の中学校で歌ったことも忘れることができません。
見ず知らずの、年も離れた私たちの歌に、全身で聞きいり、私たちのオリジナル曲にもノリノリで大声援をくれた中学生のみなさん。
次々に芋づる式(?)にライブ先を紹介してくださり、結局1週間が毎日ライブの、大忙しになった石垣のみなさん。
震災以降、9月までに県外の演奏場所は、全国で50か所を越えました。
50か所を越えて行った場所で励まされ、また来てね!と何度もお邪魔することになりました。
ありがたかった!福島は忘れられていないと何度も勇気づけられました。
もちろん、出かけた先では、原発は必要だとか、やっぱり福島には行き辛いよねと言われたり、福島県民はおとなしすぎる!とおしかりを受けたりする場面にも必ず出あいました。
それでも、震災ソングでもある新しいオリジナル曲、「手をぎゅっと!!」、故郷にいつか帰りたいという気持ちを歌った「ひまわり」、そして原発事故の悲しみを歌った「エア~歌~」に、共感をいただいて、わかっていただいて、いっぱいの励ましをいただきました。ありがたいことに、震災後「歌で人を元気にした」とよく言われた私たちですが、私たちこそ、どこでも励まされ、そのたびに歌の力を実感したものです。
行く先各地の新聞にも取り上げていただきました。その切り抜きを持ってライブに来てくれた方もいました。先々に避難中の方もライブに来てくれました。
この震災でさらに絆が深まり、また新しく絆ができて、私たちを応援してくださり、約束通り福島まで遊びに来てくれた、日本全国各地の音楽仲間たちにも、どれほど力づけられたかわかりません。
行く先々で、さらに新しいたくさんのご縁をいただき、必ず「また来いよ!」と言っていただきました。絆ってこういうことなんだと教えてもらいました。思い出さずともすぐに、数えきれないほどの、たくさんの方のお顔が今浮かんできます。ほんとうにありがとうございます!
そんな中、音楽の神さまが、私たちに素敵なプレゼントをくれたのです。
昨年の11月7日郡山市内の、川内村仮設住宅集会所でのコンサートで、あの吉川忠英さんとジョイントさせていただいた時のことです。
演奏中、私たちをじっと見ていてくださった吉川さん。
集会所のお客様たちが、私たちの歌を聞いて涙ぐむのも見ていてくださったのでしょうか。
演奏終了後、吉川さんが、私たちのところへ寄ってこられ、とつぜん言ってくれたのです。「あなたたちを世に出したいと思う。とくに今日聞いた『赤とんぼ』(認知症の母を歌った私たちのオリジナルです)は、素晴らしかった。とてもいい曲だから、私に再アレンジさせてくれないか」と。
あの「アコースティックギターの神様」の吉川さん、「なごり雪」の「岬めぐり」の、「なだそうそう」の、あの吉川さんが、、!と、もう、嬉しいやらびっくりするやら、陽子と二人手を取り合って喜びあいました。
12月になると、東京の吉川さんから「アレンジができた。さっそくレコーディングしよう」とのお電話。余りの事態の早さに、「ほんとうだったんだ!もう来た!!」と、嬉しさを通り越して茫然とすらしたものでした。
1月には郡山のあぶくま音楽社スタジオで、プロデューサー吉川忠英さんを迎えてレコーディング。3月末、お忙しい忠英さんのライブスケジュール、そして私たちのライブスケジュールをかいくぐるようにして、ようやく新「赤とんぼ」が完成しました。感謝の思いでいっぱいです。
カップリングは、忠英さんが作曲したインスト曲に陽子が詩をつけた「father’s hand」で、これも泣かせるいい曲です。
4月から石垣島をスタートに、レコ発ツアーに出発しました。長野県と福島県では、それぞれ忠英さんとのジョイントコンサートも大成功。現在24都道府県ライブ制覇中(笑)です!!高校球児のようですが、47都道府県全国制覇目指して歌い続けています。11月には、今年も西日本ツアーに、さらに場所を増やして出かけます。
笑われるかもしれませんが、「赤とんぼでの紅白出場が目標!」と公言してがんばっています。これは、私が、歌を歌って生きていこうとエフエム福島を早期退職した時の、エフエム福島・新井田社長との約束なのです。
ラーメンチェーン店、幸楽苑の社長でもある新井田社長の目標は、80歳までに世界の幸楽苑チェーンを自家用ジェットで飛びまわること。
私も、紅白に出ます!と言って、早期退職を許してもらったのです。
男と男の約束!がんばります。
福島の復興は遅遅として進みません。それでも避難されている方がたも、残っているみんなも、辛い時も苦しい時も、なんとか前を向いて歩み出しています。ひとりじゃないから、みんな応援してくれていると知ったから。
今年60歳になった、還暦シンガー菊地美一と、年齢「ヒミツ!」(本人いわく)の菊地陽子の二人、インザウィンドも、大きな夢に向かって歩き出しました。
がんばっぺ福島の合言葉とともに、不幸が不幸のままで終わらないように、一歩一歩、夢に向かって歩いています。
今日までの福島への応援、誠にありがとうございました。そしてどうぞこれからも、心からのご支援よろしくお願いいたします。お読みいただきありがとうございました。
2012年9月 インザウィンド・菊地美一