【震災コラム】これでいいのだ
執筆者 :理事 森 繪留(盛名劇団かもめ 代表)
■起きたことを、「事実」を、どう話したらよいか判らない。
どう、伝えたいのか、自分でもよく判っていない。
私は、もがきながら、まだ、足場に乗っている。
あれから、何かが変わった。
「いわき」などは、とても変わった。
■2011年3月11日
日本イベント大賞授賞式。
四ツ谷駅前の主婦会館、9階がパーティー会場。 14:46 乾杯…まさにそのときだった。
経験したことのない、長く激しい揺れ。立っていられない。
パーティーテーブルが激しく揺れ、総てのご馳走は床の上に。
『東日本大震災』と、名前がついたのは、翌日?
そして、原発事故。
いわきへは、帰れなくなった。
3週間後、ようやく動いた高速バス。1時間並んで乗車。
帰ってみると、事務所も家も全壊。
弊社は原発から40km。 転居したくとも、市内に、不動産物件はゼロ。
新居が見つかるまで1ヶ月かかった。
■今も大きな余震が続く福島では、被災者の数だけ、タイプの違う被災がある。
家族を失い、天涯孤独になったものは、声を上げて泣くことも、誰かと悲しみを分かち合うこともできない。
立場の違いから、被災者同士、お互い話題にするのも苦しい。
口を開けば、賛同や慰めより、抗議や批判が来るから。
■得体の知れない怒りのなかで、命の瀬戸際に生きて、震災から2年半。
震災直後の、ヒステリックな「決意」は消沈。
イベントが、「復興支援」という色彩で、他所からどんどん被災地に持ち込まれている。
毎日が「ハレ」の日。毎日が復興祭り。
国内外から、世界一流の芸術や娯楽が、学校の体育館にまでやってくる。
放射能の心配のないところへ子どもたちを連れ出す、旅行形式のイベントも、たっぷりある。
イベント参加は、被災地の大事な仕事。
だから…がんばって愉しむ。
みな、自分に勝つことばかり、考える。
東北の復興が、世界を救うのだから、
東北人は、負けてはいけないのだから、と…
とはいえ、何とか東北の力になりたい人々の思いを受けとめることで、確かに、
どんなにか、生かされている。
「負げでたまっか。」
いずれにしても東北人は強い。
■あれ以来、「真実」に敏感になった。
「演技」には、しばしば、欺瞞、偽善、嘘の臭いがするので、お芝居などは辛い。
『生命』という作品を作った。
何も演じない、生命の奥底からの、叫びだけの作品。
被災地で、2度、上演した。
すると大人たちは、落涙して歓喜し、この「声」を忘れない、と言った。
子どもたちは、瞳を輝かせてけらけら笑い、作品に参入してきた。
2013年 8月、東京で上演した。
すると、同じ作品なのに、
喜ぶ人、怒り狂う人、倦厭する人、無感動な人・・・
反応は、様々だった。
十人には十の命。十の心。十タイプの経験。
経験のないことは、受け入れがたく、認めがたい。
真実は、かえって嘘に思えるのだ。
それでも、感じたから怒るのだ。
だから、これでいいのだ。
■お名刺交換の際、私の名刺を見て、笑いながら「あ、放射能が移る。」
というビジネスマンもいる。
「大丈夫、除染済みです。」と言う。
経験したものにしかわからないことがある。
それなら、経験したものには、何か「使命」があるに違いない。
■ なにか、よっぽど辛いことがあるときは、
それは、蘇生の前兆だ。
「辛い」という字に「一」を加えれば 「幸」。
ようは、何を一念として加えるかだ。
■『希望』
私は、このありがたい言葉の信者になって、心を自由に羽ばたかせる。
どのように生きても、一生は一生。
どうせ生きるなら、精一杯。
■ さあ、東京オリンピックだ。
世界が認めたのだ、今の日本を。
世界が求めるのだ、明日の日本を。
七年後の日本。それが答えだ。
だから、大丈夫。負けない。
これでいいのだ。