日韓イベント交流会 平成16年度事業 「韓国、光州視察ツアー」報告書
2005年3月8日
■活動団体/活動参加者
協会本部/プロジェクト
執筆:酒井基喜(幹事)参加者:姜 哲浩(幹事)・藤井正二・安間友紀(敬称略)
■開催場所
我々日韓イベント交流会は当プロジェクト2年目の事業として発足当初より計画していた韓国ツアーを去る2004年10月21日(金)~24日(日)の3泊4日の日程で行って参りました。
今回のツアーの目的は何れも光州市で開催されていたキムチ博覧会と光州ビエンナーレの見学と双方の事務局との懇談、更にはこのイベントに関わっている側を辿っていくことによって我々JEDISのような組織とのコンタクトが取れればという淡い期待にありました。もしそのような組織に行き当たることが出来れば今後日韓イベント交流会はその組織とのパイプを通じて本来の目的である韓国と日本双方のイベントをキーワードとした「交流」をより深く図っていくということが出来るだろうと考えてのことでした。
尚、参加メンバーは姜哲浩氏と以前、今市市日韓学生会議開催の苦労話を講演していただいた?ピサロ代表取締役、藤井正二氏とその取引先商社の?安全フーズの安間友紀氏、そして酒井基喜の総勢4名という、ほとんど個人旅行と言える身軽で気楽なツアーでありました。
1日目は成田より午前10時00分の便で仁川国際空港へ飛び立ち12時30分無事到着。ソウルロッテホテルへリムジンバスで移動。チェックイン後、早速、京東市場(キョンドンシジャン)へ向かい、しばらく市場内を歩き回り、多彩な食材が山積み状態で売買される様を観察。そこから南大門、そして明洞へと移動しながら市内見学。そうしているうちに日も暮れて、この日のメインイベント、かつて当交流会が恵比寿で見学会を行った「韓国38度線非武装地帯の写真展」の、その写真を韓国軍に同行し撮影し、地雷を踏みながら死線を越えて生還した崔 秉寛氏(Choi Byung Kwan)夫妻と姜氏の友人ユン・ヨンソプ氏1名を交え、高級レストランで会食。姜さんとユン氏の通訳で言葉の壁を越え話に花が咲き、なごやかで楽しいひとときを過ごしました。
2日目は、今回のツアーの主目的であるキムチフェスティバルとビエンナーレが行われている光州市へ9時35分発の韓国高速鉄道にて出発、12時30分に光州へ到着。この日の光州は澄み渡る晴天で非常に気持ちの良い日。まさにイベント日和でありました。駅で我々を出迎えていただいたのは、やはりここでも姜氏の軍隊時代の友人で光州銀行支店長のチェ・インヨプ氏。氏の車で案内していただきキムチフェスティバル会場へ。会場は光州仲外(チュンウェ)公園一帯を使用。会場に近付くにつれて多くのバルーンが澄み切った青空に浮かびフェスティバルの開催を象徴していました。
それにしてもキムチを題材にこれほど大規模なイベントが毎年開催されるというこの事実はキムチという食文化は日本人が認識しているものとは全く違った意味を持った文化であるということを改めて思い知らされました。
会場構成は出展ブースとしてキムチ製造業者が屋外テントで軒を連ねる試食&販売ブースと、主催者が運営するイベントブースやスポンサーなどの出展者で敷地の大半を占め、日本の縁日の様なにぎわいを呈していました。その他にメインのイベントステージとキムチの味を競う様々な競技を行うコンテスト会場、そしてこれは日本には全くあり得ないキムチ冷蔵庫の出展ブーステント、はたまた、キムチ用の陶器を製造販売しているブースがあったり、そして既存施設の資料館内にある展示ホール内ではキムチの発祥の歴史、生活、世界、そして産業をキムチ現物の展示によって紹介している室内展示、と、なにしろキムチ、キムチ、キムチ、あらゆるキムチ文化を象徴する一大イベントとして構成されているのが印象的でありました。
この日は主催者との懇談会は主催者である光州市役所の担当課長が不在のため懇談希望をご伝言いただき明日のアポイントを後ほど連絡いただくという約束でひとまず会場を後にし、当公園内のビエンナーレ会場へ移動、しばし作品鑑賞し、様々なアートに触れる高尚な時間と空間を堪能しました。このビエンナーレの展示はそのテーマを「一粒の塵」「一滴の水」としており、これを併せて「一塵一滴」(A Grain of Dust A Drop of Water )となっており、火事の焼け跡を生々しく再現していたり、爆発と共に一瞬で煎餅を作る機械で実際に煎餅をたくさん作って来場者に食べさせていたりと、何となく、なるほどと理解出来なくもない範疇の作品が展示されていました。
われわれが実際に鑑賞したのはこの会場だけでしたが、会場はこの光州広域市中外公園文化芸術ベルト一帯の他、光州地下鉄、そして5・18自由公園と大きく分けて3箇所で開催。主催は財団法人光州ビエンナーレと光州広域市。観賞後、この事務局がちょうどこの会場内にあり早速訪問しキム・ミンス広報部長と広報担当のチョ・テヨン氏と懇談、今回は5回目であること。管理、広報、展示そして展示と4つの部門分けをし、それぞれを光州市、財団、芸術総監督、そしてイベント会社とで分担して推進していること。ビエンナーレは世界200箇所で開催されているが、当ビエンナーレがアジアでは最初の開催であったこと。予算のほとんどを財団の基金でまかなっていること。光州市は観光資源が少なく何らかのイベントを開催しないと他から観光客が来にくいこと。日本からは3名のアーティストが出品していること。新たなことにチャッレンジしていくことがビエンナーレのあり方だということなどを話してくださいました。
そして光州市では最後となる3日目、昨晩、約束通りに光州市のソ・ジョンホワン課長よりアポイントをいただき、再びキムチフェスティバル会場へ。徐課長との懇談会では、光州市は日本の大阪、仙台と姉妹都市関係にあり両都市からVIPを招いていること。ここ光州は多くの芸術家を輩出していることと、伝統的な食物があるという点において元々芸術都市であり肥沃な穀倉地帯であることから、光州市がこのイベントを開催するのち適していること。キムチフェスティバルの開催は美味しいキムチを世界中に普及させたいというビジョンを持って行われていること。上海や北京でも開催する予定を持っていること。昨年は延べ60万人の観客動員を記録したが今回は更に70万人の動員を目標に文部省認定の元に各種学校への告知を行っていること。予算は6億ウォンで全てを光州市で賄っていること。出展料は1ブース¥50.000-であり、昨年は日本企業も出展していたということ。現在会場が手狭で、多くの出展希望者を断らなくてはならないという課題を抱えている点などを伺いました。
その後、会場を後にし、キムチ工場を経営するドゥメフードシステムのキム・カプジュ社長を訪問し、目が不自由という肉体的ハンディを乗り越え邁進する経営手腕及びその経営理念の元、絶えず業態変革を重ね着実に事業拡大を遂げている様に触れ一同感動。その後、光州事件の犠牲者が埋葬されている5・18墓地こと5・18自由公園へ行き「光州事件」の展示資料のあまりの凄惨さに何とも言えぬ虚無感を感じながら改めて民主主義という自由を噛みしめた時間でありました。この公園はこの事実を市民が決して忘れることのないようにという願いの元に建設されたそうです。
この日も盛り沢山のうちに光州での最終日を終え、18時40分の韓国高速鉄道へ乗車。車内で女性車掌にひんしゅくをかいながらマッコイで宴を催しつつ一路ソウルへ。
そして最終日の4日目。特に予定した行事はなく、お土産など買い物の日にしようということで、ホテルの隣のロッテの免税店で買い物などをして過ごし、当ツアーはその全日程を充実感いっぱいの元に無事終了し、18時20分発の便で仁川空港から成田へ出発、20時30分成田着その後解散で3泊4日の全日程を終えました。
以上、ご報告いたします。