「愛・地球博」マンスリーレポート事後編

2005年12月21日
■活動団体/活動参加者
(旧)研究交流委員会
本文:井上 直 前書き:酒井基喜 後書き:原田伸介 (敬称略)
■開催場所
 
 
 
写真:「赤十字・赤新月館」 メッセージを書く子供たち
            (「愛・地球博」HPより引用)
□事後編プロローグ□・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

このマンスリーレポートの初回、吾郷氏からも指摘があったようにリニヤモーターカーのキャパシティや藤が丘駅の混雑、そしてセキュリティチェックによる入場ゲートの混雑と、そのセキュリティの甘さなど、様々な問題点が山積みとなっているかのような印象でスタートを切った「愛・地球博」。

しかし終わってみれば目標の1,500万人を遙かに上回る2,205万人という来場者で連日超満員でごった返し、今日はどこそこのパビリオンで3~4時間待ち、というような盛況さばかりを伝える報道に明け暮れるうち、その幕を閉じた。目的来場者数をクリヤーし、併せて収支的にも黒字となれば大成功であったと言わざるを得まい。

この事実は我々イベントを生業とする者にとって大いなる自信となった。PCの前にいれば何でも疑似体験できてしまうこのIT時代においてもまだまだ日本人はイベントが大好きだった。(日本人だけではないとは思うが…)いや、大好きというより、こんな時代だからこそ「飢えていた」のでは?とさえ思うのに充分な結果であったと思う。

やっぱりライブが一番である。そう、ITが「知る」のに有効な手段であるのに対して実体験であるライブは「理解する」のに一番有効な手段「百聞は一見にしかず」である。

しかし、その展示手法が一方向的な情報の提供であったならば、その限りではなく、途端にIT以下に転落してしまうであろう。何故ならITはそこから先も足りないと感じれば検索して、どんどん知識を掘り起こしていくことも可能なのだから。

ではそうならない展示手法とは一体何だろう?我々JEDISの平野会長はある講演のなかでこうコメントしている。「これからのイベントにおける展示手法はインタラクティブでなくてはならない」と。

さて、今回最後となる「愛・地球博」マンスリーレポート。フリープランナーとして実際に様々な計画に携わってこられた井上氏から閉幕後のレポート。井上氏の文中の「親切過ぎた展示」そして「受け手の参加性」という表現と前述の「一方向的な情報の提供」そして「インタラクティブ」との相関関係は如何に?

このマンスリーレポート、結局、初回から色々課題を投げかけつつ結局何も結論へは辿り着かずにその幕を閉じたいと思う。この機会にイベントを今一度あれこれ考察する良いきっかけになれば幸いである。

今回、11月16日にご寄稿いただいたにも拘わらず諸事情によりホームページへのアップが遅れてしまい、ご寄稿いただいた井上 直氏とご人選いただいた原田伸介氏にお詫び申し上げます。最後に、8ヶ月間、ご多忙のなか執筆並びに寄稿者の人選など多大なご協力をいただいた中部地域本部長の原田伸介氏に深く感謝の意を表して結びといたします。

□執筆者プロフィール□・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
井上直・プランナー

2000年ディスプレイ会社を退社、フリーのプランナーとして現在に至る。
博覧会関連業務実績
・名古屋商工会議所モノづくりランド「21世紀のウォードの箱プロジェクト」基本・実施計画、展示計画作成。
・地球市民村「トヨタブース」展示計画作成。
・モリゾーキッコロメッセ「世界のsho・日本の書展」基本計画作成。
・モリゾーキッコロメッセ「タイムスリップ大阪万博展」基本計画作成。

□本    文□・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

         「愛・地球博」が展示の課題として残したもの

「愛・地球博」会場では、国内外を通じて多種多様の、大小さまざまな工夫を凝らした展示を見ることが出来た。言うなれば、「愛・地球博」会場そのものが大きなコミュニケーション装置であるわけで、各主催者が来場者に対して、自らの発信するメッセージを明確に伝えるために、展示に於いてさまざまな手法・技術を凝らすことは至極当然のことと思われる。

しかし、メッセージの受け手に、あまりにも親切過ぎたのではないだろうか。この展示の見所は云々、ここではこのような見方をして…等々。来場者はそれらの情報を咀嚼する暇もなく、丸呑みしながらパビリオンからパビリオンを掛け持ちする、というのが一般的な図式ではなかっただろうか。

万博総合プロデューサーの泉眞也氏が、万博の反省点として「テーマに基づいた仕掛けはたくさん作ったが、やや作りすぎた感もある。テーマの本質をうまく『伝える』ためのコミュニケーションの工夫がもっと必要だった」という感想を雑誌の中で述べておられたが、それの意図するところは、受け手の参加性の余地を残すことにあったのではないのだろうか。

現在横浜の山下埠頭で、日本最大の国際美術展「横浜トリエンナーレ」(9月28~12月18日)が開催されているが、ここでは、「完成した作品を見るだけでなく、作品が生まれて消えていく現場に立ち会ってください」というメッセージのもと、作品づくりに一般の人々を参加させる、“制作現場に招く”という試みや、ゲームの土台だけをつくり、後はプレイヤーである観客に任せる、“参加してもらう”という試みなど、観客の主体性を引き出すためのさまざまな仕掛けが散りばめられている。

横浜トリエンナーレの試みに対して、「愛・地球博」の展示における課題として残ったことは、来場者が主体的に関わる余地をつくらなかったところにあるのではないか、それは想定外の、予想を超えた広がりを持つ展示の可能性を閉ざしてしまったことになるのではないだろうか。

この、「愛・地球博」をテーマにした連載の冒頭で、原田氏が「今回の博覧会の特徴として、与えられた情報が非常に多いと感じる。来場者それぞれが、自ら考える、感じることの楽しみを放棄してしまったのか」という旨の発言をされていたが、これも情報の受け手である来場者が、主体的に関わる部分が少なかったことからくる結果ではなかったのか。

人間の知恵・感情等を含めたあらゆるものをコンピュータに移植し、人間の分身をつくろうとした試みに「人工知能(Artificial Intelligence) 」というものがある。しかしすべてを制御することは不可能だと判断され、次に基本的な枠組みだけを人間が設定し、後は機械(コンピュータ)の判断に任せて成長させる「人工生命(Artificial Life) 」が誕生した。人工生命による迷路を使った実験では、ジグザグの空間を移動するために必要であろうと、あらかじめ設定しておいた部品は使わず、コンピュータ自らが適切な部品を生み出して、見事迷路をクリアするという結果が得られたという。

もはや時代は、すべてを想定の中で動かすことが不可能な局面を迎えたのではないだろうか。今回の「愛・地球博」においても、NPOやボランティアの方々の活躍は、当初の想定外の成果が得られたということであるし、入場者数においてさえ、想定外の結果を招いたのではなかったのか。

展示においても基本的な枠組みの中で、伝えるべきメッセージは明確にしつつも、個々の判断・理解は受け手にゆだねる、という段階にきたのではないだろうか。

編集工学研究所所長として、情報工学に詳しい松岡正剛氏は、「情報はわれわれが関わらないと出てこない、情報を呼び出す仕掛けや、認知するきっかけ・機会(デバイス)に促されて、情報は出てきて活性化する」という趣旨の発言をされている。

送り手は明確なメッセージを、さまざまな仕掛けやデバイスを通じて送り出し、受け手はその中から任意の情報をすくい上げて再編集し、メッセージとして理解する。そこには個々の価値観に基づいたメッセージの形があって、旧来の送り手が想定するマス的な形はない。

そのような意味からいえば、博覧会の『国際赤十字・赤新月館』は小ぶりながらも、「人間愛が地球を救う」という明確なメッセージの発信を通して、受け手にさまざまな問いかけを行っていたケースであろう。その結果が、増え続けた来館者による手書きのメッセージや、口コミによる来場者の増加という現象だったのではないのだろうか。

ここには、情報の受け手が自分なりのメッセージの理解に基づいて、それをまた人に伝えていくというプロセスがあり、そこに受け手が参加できる大きな余地が残されていたように思われる。

今後の展示の企画においては、このような広がりを含めた展開を想定の内に企画を描くのか、それともあくまでこのようなことは想定外におくべきなのか、企画を作る側としては悩ましい課題である…。

□後  書  き□・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

「愛・地球博」では日本全国の、様々な展示・催事・会議・イベントに携わる方々が多数参加され、ご活躍されました。

ここに文章を掲載して頂いた井上氏も、私と共に「愛・地球博」の会場でその手腕を振るわれた、イベントのプロのお一人です。

「愛・地球博マンスリーレポート」の最後に、博覧会協会のご意見も伺いたいと思っておりましたが実現には至りませんでした。そこでより現場に近い方にご感想をいただく事も一つの価値観の表現ではないかと思い、井上氏に掲出をご依頼しました。

21世紀最初の国際博覧会は終了し、様々な場所・場面でフェアウェールパーティーが催され、過ぎ去った博覧会の日々が話題にのぼっていることと思われます。

しかし、今回の博覧会を成功事例として思い出に残すだけではなく、残していったものをある日、我々は、もう一度思い返し編集し認知する必要があると思います。

その時「博覧会と言う情報」をどのような形で呼び起こし、活性化する事が出来るのか、イベントに関わるものとして、私たちの情報への関わり方が問われるのではないでしょうか。

 
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